スペインは歴史の街。紀元前3,000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。

●建設年代:主に11世紀から16世紀
●保存状態:一部修復。アルカサルのオメナヘの塔は考古学博物館となっている。
●見学:昼食時を挟んで午前と午後
●インフォメーション:953-58-0357/58-0000(市役所)
●アクセス:グラナダからN-432をコルドバ方向へ約80km
●周囲のみどころ:城壁内の教会めぐり。サント・ドミンゴ・デ・シーロス教会(Iglesia de Santo Domingo de Silos)は、アルフォンソ11世の命により、レコンキスタ後、アルカラに最初に建てられた教会。ゴシック−ムデハル様式。イスラム教モスクの上に建設されたとも考えられる。鐘楼も、かつてはモスクのミナレットだったのかもしれない。18世紀にだいぶ改築されている。ラ・モタを城壁外から眺めると、オメナヘの塔とサンタ・マリア・ラ・マジョール教会(Iglesia santa Maria la Mayor)の鐘楼が一際高く見える(写真)。こちらは、16世紀のルネサンス=プラテレスコ様式。最近の発掘調査で、この内部にローマ時代の貯水槽、岩をくりぬいた棺、ゴシック様式の教会跡が発見された。教会本体はイスラム教徒のメディーナの土台の上に建設されている。

第19城 ラ・モタ 後編( ハエン県アルカラ・ラ・レアル)  

3世紀から、アルカラ・ラ・レアルは、3世紀にわたってレコンキスタの最前線となります。1213年にはアルフォンソ八世がナバス・デ・トロサの戦勝に乗じてシエラ・モレナを越え、アルカラを奪取! 六年間、カラトラバ騎士団がこれを死守します。次はセビーリャを征服したフェルナンド3世が、1229年から48年にかけて2度、アルカラを占領。しかし、息子アルフォンソ10世の時代に再度失われ、サンチョ王子がまた奪回するも、長続きせず。そして、1341年。この年、アルフォンソ11世が包囲の末ようやく八月15日にアルカラを攻め落とし、レコンキスタ完了。「サイード家の要塞」は、以後、アルカラ・ラ・レアルと呼ばれるようになります。
とはいえ、これでアルカラがレコンキスタの表舞台から姿を消したというわけではありません。すぐ近くのモクリンが陥落するのは、グラナダ陥落の直前、1485年のことです。アルカラは、イスラム軍の格好ターゲット。アルフォンソ11世は、早速、城壁の強化を命じます。旧アルカサルの一角にある塔は「灯火の塔(Torre de Faro)」とも呼ばれ、夜毎、この塔の灯りを頼りに、グラナダ王国で捕虜となっていたキリスト教徒たちが逃げ込んできたのだとか。
15世紀末、グラナダ王国が消滅すると、城壁の存在理由はなくなり、ラ・モタ城の住人たちは、丘の北東側、起伏の少ない場所に新たな町を築きます。これが現在のアルカラ・ラ・レアル。ラ・モタ城内には、教会が残るのみとなりました。
我々は、長槍の門(Puerta de las Lanzas)から城壁に挟まれた通路を通り、イマヘンの門(Puerta de la Imagen)から城内に入ります。高い尖塔アーチと、低い馬蹄形アーチからなるイマヘンの門は、アルハンブラの裁きの門を思わせます。城壁内をおおざっぱに三つに分けると…門を背に左側、丘の頂上付近、城壁が所々しか残ってなく、内部は更地になってしまっている辺りは、11世紀からのアルカラ拡大でできた部分。右側は、元々の町があった部分で、ここに、サイード家の宮殿もあったはずです。そして、北東部分のアルカサル。ここのオメナヘ(忠誠の誓い)の塔は、キリスト教徒による改築が重ねられてはいるものの(現在は考古学博物館)、イスラム建築の特徴を随所に残しており、その前には、かつて人々が住んでいた家々の土台が残っています。

小林真紀


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第16城 前編
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第14城 前編
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第12城 後編
第12城 前編
第11城 後編
第11城 前編
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