スペインは歴史の街。紀元前3,000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。

●建設年代:主に11世紀から16世紀
●保存状態:一部修復。アルカサルのオメナヘの塔は考古学博物館となっている。
●見学:昼食時を挟んで午前と午後
●インフォメーション:953-58-0357/58-0000(市役所)
●アクセス:グラナダからN-432をコルドバ方向へ約80km
●周囲のみどころ:レコンキスタ最前線となったアルカラの周囲には、15の見張り塔が残っている。うち、6つがキリスト教徒による建設。他はイスラム教徒により建設された:Torre de Cas-cante、la Moraleja, la Dehesilla, Guadalquita, Santa Anaなどなど。

第19城 ラ・モタ 前編( ハエン県アルカラ・ラ・レアル)  

モクリンからコルドバへと道を進めると、右手の丘の上に城壁と塔と教会の鐘楼が見えてきます。これがアルカラ・ラ・レアルのラ・モタ城。グアダルキビル流域とグラナダのベガ平野の中間に位置するアルカラには、古代から、イベロ、後にローマの集落が存在しました。そのアルカラが成長を遂げたのは、630年に渡るイスラム教徒の支配下。ラ・モタ城と呼ばれていますが、実際には、城というよりも要塞都市。城壁の内部には、イスラム教徒のメディーナ(アラビア語で町)の跡が残っています。
八世紀、イスラム教徒がイベリア半島に上陸した直後には、この辺りにはシリア人が入植。シリアのダマスカスでウマイヤ朝が倒され、その最後のカリフの孫アブデラマン一世がイベリア半島に上陸すると、アルカラは、当時のアル・アンダルス執政官ユスフ・アル・フィフリの側に立ってアブデラマンに対抗。コルドバにウマイヤ朝政権が確立した後も、度々、反乱を起こしていました。11世紀ウマイヤ朝崩壊後、アルカラは、グラナダのシーリー朝、後にモロッコから上陸したムラービト朝の支配下に入ります。シーリー朝最後の王アブドゥラーの治世には、カスティーリャ王アルフォンソ六世が、献納を渋るアブドゥラーを懲らしめるためにシーリー朝領土に侵攻し、アルカラを攻め落としています。ただし、すぐにアブドゥラーが奪回。
11世紀末、ムラービト朝支配が弱体化すると、地元の有力家サイード家のアブー・マルワン・アブドゥ・アル・マリク・イブン・サイードが独立を宣言。アルカラは、「カラット・バヌー・サイード(サイード家の要塞)」と呼ばれるようになります。キリスト教徒側の史料では「アルカラ・ベンサイデ」。アルカラの最盛期はこの時代。ウマイヤ朝治下で既に城塞が建設されていた筈ですが、今日のラ・モタの姿がほぼ整うのはこの頃です。ウマイヤ朝崩壊以来、何世紀も続いた混乱の中、人々は、小さな村を棄て、身を守ることの容易な、城壁のある大きな町へと移住していました。イルビラ(グラナダ)地方の重要地アルカラにも人々が集まり、新たな集落ができ、それに応じて、新たな城壁が建設され、町は拡大していきます。
前述のアブー・マルワンは、ムラービト朝に代って、再び北アフリカから上陸したムワッヒド朝に抵抗していましたが、1145年に降伏。マラケシュでしばらく投獄され、解放後にはグラナダに移住し、ここで執政に携わります。グラナダに本拠を移したサイード家は、この後も優れた文人たちを輩出しました。
一方のアルカラは、イベリア最後のイスラム王朝ナスル朝と、南下を続けるカスティーリャ王国が覇権を争い、3世紀に渡ってレコンキスタの最前線となります。その顛末は次回。

小林真紀