スペインは歴史の街。紀元前3,000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。

第18城 フリアス( FRIAS/ブルゴス)  

絶壁どころか、中腹が窪んだ断崖の上に張り出すように塔が建つ。かなりスリリングな風貌です。実際に、お城が修復される前には、崩れ落ちてくる岩のせいで、死者が出たこともあったとか。それでも、お城は村の誇りだったんでしょうか。すべて壊してしまおう! ということにはならなかったようです。
まずはお城見学から。塔があるのは村の上にある丘の端。入口はその反対側、丘の頂上にあります。頂上部分は平らですから、ここから見た限り難攻不落という趣はなく、よって、この辺りの警備は厳重だったはず。城の前には堀があり、我々は跳ね橋を通ってこの堀を渡ります。跳ね橋を渡ると、左に折れて、堀沿いの外壁と城本体の城壁に挟まれた狭い通路を進み、主要門へ。ここで今度は右に折れて、初めて城内に入ります。こういう入口は、要塞建築の常套。この通路を通る者があれば、跳ね橋の上、左右の城壁の上、主要門がある塔の上から常に監視の目が光っていたわけです。主要門をくぐると、城壁に囲まれたほぼ四角形の中庭が開け、正面に先ほど下から眺めた天守(オメナヘの塔)が建っています。
主要門から見て左側には、二重アーチ窓が三つ。騎士やハルピュイア(鷲のからだに女性の頭を持つ神話上の怪物)をモチーフにした美しいロマネスクの柱頭が見ものです。飾り気のない城内では異質な空間ですが、この辺りが一番古い部分で、城の主人の住居だった場所。右側は兵舎や厩があった部分で、奥の方に貯水槽の跡、秘密の出入り口も残っています。
フリアスは、1201年にウルヘル伯爵アルメンゴールから、他のいくつかの領地と引き換えにアルフォンソ八世に譲渡され、カスティーリャ王国の領地となりました。王は、早速この村にフエロを与え、市壁を建設。現存する城塞も、最古の部分はこの頃の建設と考えられています。フリアスにはローマ時代から集落があったことが確認されており、この城塞も、その前に存在した城の跡に建設されたとの説もありますが、史料による裏付けはなし。
アルフォンソ八世は、ナバラ王国との国境線を固めるために、近くのメディナ・デ・ポマールなどと併せて防衛ラインを築くべく、フリアスの再植民に力を入れます。現在の人口はわずか400人ほどですが、中世のある時期には、2300人にも達したこともあるのだとか。15世紀前半まで、東国境の重要な戦略拠点として、歴代カスティーリャ王直轄の所領でした。その後の顛末は次回。

小林真紀

●建設年代:13〜16世紀
●保存状態:城壁と塔が残る。修復済み。但し城壁内は更地。
●アクセス:ブルゴス〈N-I〉30km→Briviesca〈BU505〉18km→〈N232 O紡経由〉13km→〈N629〉6km→Tres-paderne〈BU530〉10km→〈BU520〉3km
●見学:9時〜14時/16時〜20時
●お薦め遠足コース:ブルゴスから行く場合は、是非、オニャに寄ってみよう!! サン・サルバドール修道院は、11世紀に創設された歴史ある修道院。カスティーリャ伯家、後に王家との関わりも深く、教会内(修道院部分は現在は病院)には第3代カスティーリャ伯サンチョ・ガルシア、その娘婿でナバラ王サンチョ3世、その孫でカスティーリャ王サンチョ二世などなど…の霊廟がある。樫材の棺に施された美しいムデハル−ゴシックの木彫装飾も見もの。現存する建物は、主に15世紀のゴシック建築だが、前身のロマネスクの建築も所々に保存されている。8月前半には、教会内で、衣裳作りから演技まですべてオニャの人々の手による中世史劇が催される。このころ、ブリビエスカからオニャに至るブレダの平野では向日葵が満開。時間があったら、ブリビエスカのサンタ・クララ修道院もお薦め。付属教会内のレタブロは、ミケランジェロを思わせるルネサンスの彫刻群が迫力満点! 17世紀の制作時には資金不足で彩色できず。それが、現代の我々の感覚には、かえって好ましいようです。