スペインは歴史の街。紀元前3,000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。

●建設年代:主に12世紀。15世紀まで改築が重ねられる。
●アクセス:セビーリャから15km。
●保存状態:城壁と塔が残る。
●見学:自由
●周囲のみどころ
アルカラ・デ・グアダイラ周辺には今でも水車の跡が残っており、中には、古代に起源を遡るものもある。また、アンダルシアの教会にはかつてのモスクの痕跡を残すものが多いが、アル・アンダルスの時代に繁栄したアルカラ・デ・グアダイラもその例に漏れず。村内のサン・ミゲル教会(Iglesia de San Miguel)ほか、村から5キロのクアトロアビタン小教会(Ermita de Cuatrohabitan)には、ミナレットやミーラブの跡も残っている。

第17城 アルカラ・デ・グアダイラ
(ALCALA DE GUADAIRA/セビーリャ) 
 

城セビーリャから約15キロ。川に沿って続くカーブを進むと、川辺の小高い丘の上に褐色の城壁が見えて来ます。村の歴史は古く、ローマ時代から既に集落がありました(城塞跡の中でローマや西ゴートの遺跡も出土)が、アルカラ・デ・グアダイラが最も繁栄したのはアル・アンダルス(イベリア半島内のイスラム教徒支配地)の時代。スペインにいくつもある「アルカラ」という地名は、アラビア語で城塞を意味するアル・カラットが語源。「グアダ…」と来たら、アラビア語のグアッド、つまり「川」がカスティーリャ語風になまったもの。グアダイラは、アラビア語で「供給の川」といった意味の、グアダ・シーラが訛ったものなのだそうです。当時、この村の水源からセビーリャまで水が引かれていました。また、たくさんの水車があり、ここでひかれた小麦粉は、大都市セビーリャで消費されるパン製造に使われていたのだとか。「パン屋の村」なんていうあだ名もあったそうです。
城塞は、12世紀にムワッヒド朝の人々が造ったもの。ラ・マンチャ地方のお城の多くがこの頃(12〜13世紀)、キリスト教徒たちの手で築城されていますが、シエラ・モレナ以南でも、北アフリカから上陸したムワッヒド朝の人々が、次第に南下してくるレコンキスタを食い止めようと、既存の要塞や城壁を強化していました。例えば、セビーリャ、カセレスなどの城壁跡がこの時代の建設。分厚い壁に大きな塔というのがムワッヒド朝の要塞建設の特徴です。アルカラの要塞の城壁と塔も、その特徴にぴったり。特に、城壁に並ぶ塔は、それぞれが天守閣といってもいいほど立派なものです。内部の大きな広場を歩いていると、足音が少し違って聞こえる。これは、地下の大貯水槽に足音が反響しているため。城壁の外周も大きく、長い篭(ろう)城に備えられていたようです。
アルカラのレコンキスタは、セビーリャ陥落の四年前、1244年のこと。カスティーリャ王フェルナンド三世(在位1217〜52)が自ら指揮を執り、大した抵抗もないまま落城。その後、要塞は改築が重ねられ、現在残るアルカサルはキリスト教徒たちによる建築…ではありますが、すぐに牢獄として使われるようになります。
残虐王ペドロ一世(在位1350〜69)は、異母兄エンリケ二世との王位を巡る争いの中で、この要塞を牢獄に使っていました。中でも悲惨だったのが、カラトラバ騎士団長だったディエゴ・ガルシア・デ・パディーリャ(ペドロ一世の愛人、マリア・デ・パディーリャの親族)。獄中で発狂し、自らの血で解放を懇願する文書を書いた布を、ネズミのしっぽに結わえ付けていたと語られています。

小林真紀

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