スペインは歴史の街。紀元前3,000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。

●建設年代:1456−1474/19世紀に大幅改築。
●保存状態:半修復済。
●見学:10時−14時/17時−19時(夏季)
●アクセス:
●周囲のみどころ:ベルモンテの旧アルカサル(El viejo alcázar)は、14世紀に、当時の領主ドン・フアン・マヌエル(フェルナンド3世の孫)が建設した。新城建設後、パチェーコ家によりドミニコ会修道院に寄進され、19世紀末まで使われていたが、損傷がひどく、現在は修復中。現在も大部分が残る立派な城壁も城と同時期の建設。コレヒアータ(参事会教会=Colegiata de San Bartolomé)も、西ゴートの教会跡に、やはりフアンの時代に建設された(こちらも5月現在修復中)。城やコレヒアータにある紋章はほとんどがフアンとその弟ペドロのもの。N-III沿いにあるガルシムニョス(Garcimuñoz)とアラルコン(Alarcón現パラドール)もドン・フアン・マヌエルやフアン・パチェーコにゆかりの城。

第16城 ベルモンテ 前編(Belmonte/クエンカ) 
 
スペインの城塞としてはずいぶん遅く、15世紀になっての築城。要塞というよりは、宮殿として機能していたようですが、大きな胸壁を頂く城壁は、そう簡単に陥落できそうにありません。内部は、19世紀、ナポレオン3世妃エウヘニアの修復工事により、だいぶアフランセサード(フランス化)されていますが。
築城主はフアン・パチェーコ。15世紀後半カスティーリャ王位を巡る内戦で鍵を握った人物です。彼の祖父フアン・フェルナンデス・パチェーコが、戦功によりエンリケ3世からここを領地として与えられ、その娘マリアを経て、パチェーコ家3代目領主が、1419年にベルモンテの旧アルカサルで生まれたフアンというわけです。フアンは、フアン2世の治世で寵臣アルバロ・デ・ルーナに仕え、45年、王よりベルモンテ周辺からアラゴン西部、アリカンテまで至るビリェーナ伯爵領を与えられると、それまでアラルコンの管轄にあった生地ベルモンテを広大な伯爵領の首都として、56年、村の名の由来と言われる「美しい山(Bello Monte)」の上に、新城建設を命じました。この間にも、フアン2世を継いだエンリケ4世に影響力を及ぼし、元の主人デ・ルーナ失脚に荷担。宮廷で不動の地位を獲得していきます。
当時、カスティーリャは最後の内戦前夜。彼にとって、王家を巡る混乱は領地拡大の絶好のチャンス! 対立する両陣営にとって不可欠な存在となることで、混乱をあおり、権力を手中に治めようという魂胆だったようにも見えます。まずは、王妃の愛人と言われた政敵ベルトランを重用し始めたエンリケ4世に対抗して、王の異母弟アルフォンソ(イサベル一世弟)を王として担ぎ上げ、その裏で、エンリケ4世と密約も交わし、イサベル(後のカトリック女王)と弟のペドロ・ヒロンの結婚を画策。ところが、結婚式を間近に控えて花婿が急逝。享年40。毒殺の可能性高し。続いて、67年にはアルフォンソ死去。享年14。毒殺との噂あり。万策尽きたかに見えたフアンはイサベルの王位継承を認めるものの、69年、イサベルとアラゴン皇太子フェルナンドが結婚すると、エンリケ4世の娘(少なくとも彼の妃の娘)フアナ・ラ・ベルトラネハ支持に回ります。しかし、74年、今度はフアン本人が急逝。またまた毒殺との噂…。時代も時代であるうえ、敵の多そうな人物ですから、例えば、城内のフアンの寝室は、外部からの侵入を防ぐため、主入口と隠し通路の扉以外、窓はなかったそうです(後の改築により現在は窓あり)。
そのお城の完成は1468年から1474年。あるいは、天守閣(Torre de Homenaje)がさほど高くなく、どの塔にも胸壁が付いていないのは、内戦により工事が中断されたまま、カトリック両王の新城建設禁止令を受けて、あえて完成を見あわせたため、とも考えられます。

小林真紀