スペインは歴史の街。紀元前3,000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。
●建設年代:10世紀頃。14世紀以降大幅に改築され、オリジナルはほとんど残っていない。
●保存状態:城塞は輪郭が残る。市壁は完璧に保存されている
●見学時間:冬10:30〜18:30夏10:30〜19:30
休み1月1日、12月25日
●アクセス:カステリョンからN-340−サン・マテウ村、ケロール(Querol)峠経由(ケロール峠は、冬は雪による交通止めが多い。交通情報を確認のこと)サラゴサからN-232。カステリョンからバスも出ている(TEL:964-220536)。
●ツーリストINFO:964-173032(C/San Miguel)
●周囲のみどころ:城から東に見える水道橋は、1318年にハイメ二世が建設を命じたもの。19世紀まで使用されていた。村を囲む市壁は、10世紀以前のイスラム教徒の建築を、14−15世紀に拡張したもの。高さ平均約10m、厚さ約2m。サン・ミゲル門などに見られる、城をモチーフとした紋章はモレーリャのもの。縦縞の紋章はアラゴン王国。
目抜き通りには、衣料品店がひしめき合う。カラフルな毛織りの毛布(mantas morellanas)が特産。食べ物では…牛モモ肉の干し肉がおすすめ。店の天井からぶら下がっている牛の後ろ足は、見た目もすごい。チーズやお菓子も種類が豊富で美味しそう。

第14城 モレーリャ(Morella カステリョン)
  前編:中世の村

テルエルとの県境に広がるマエストラスゴ山の山あいにあるお城。お城の北側にある駐車場近く、その名も冷蔵庫<Nevera>門から、村に入ります。冬は寒いですよー。 中世には商業で栄えたモレーリャらしく、13世紀から日曜市が立つ目抜き通りを通り、廃虚となったサン・フランシスコ修道院の回廊を抜けて、村の北端の大岩の上に聳えるお城を目指す。ひたすら上り坂が続く、なかなかハードな行程です。
モレーリャから約7キロ、モレーリャ・ラ・ベラ〈Morella la Vella〉には、弓を引く戦士たちを描いた洞窟画も残っていたり、この辺には古くから集落が存在していました。モレーリャも、イベロが築いた砦の上に、ローマ時代の要塞が築かれ(武器の広場〈Plaza de Armas〉の下にある貯水槽も、元はローマ建築という説あり)、ゴートの手を経て、現存する城塞は、714年にここを占領したイスラム教徒達が築いた城が、時代とともに増改築されてきたもの。と言っても、城の中央、セロキア〈Celoquia〉塔が、イスラム建築をわずかに残すのみです。11世紀、コルドバの後ウマイヤ朝崩壊後、トルトサ王国とサラゴサ王国が覇権を争っていましたが、12世紀にムラービト朝が吸収。この間、レバンテ地方を席巻していたエル・シッドが、何度もサラゴサ王国下のモレーリャを襲い、1091年にはここでクリスマスを過ごしたのだとか。
1114年、アラゴンのアルフォンソ1世(在位1104〜34)が一時この地を占領しますが、キリスト教徒による最終的なレコンキスタは1232年1月のこと。アラゴンの貴族ブラスコ・デ・アラゴンのモレーリャ征服を聞きつけたアラゴン王ハイメ1世(在位1213〜76)は「モレーリャの城は、その軍事的重要性からも王家に属すべきであり、個人領主の手に委ねられるべきではない。モレーリャ城とその領地は伯爵領にも相当するほど重要なのだ…」とか言いながら、大急ぎで2日後に入城。結局、ブラスコの死後、王領となり、以後、モレーリャは常にアラゴン王家に忠実だったそうです。
モレーリャは近代以降も様々な戦いの場となります。19世紀のカルリスタ戦争では「マエストラスゴの虎」なる人物が活躍。マエストラスゴの虎…なんだか気になる名前です。が、続きは次号。

小林真紀

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