スペインは歴史の街。紀元前3,000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。

第12城 カラトラバ・ラ・ヌエバ−シウダ・レアル)
    ー後編ー

カルサダ・デ・カラトラバ村からプエルトリャノへと至る道を南西に進むと、ずいぶん遠くから、城を頂く2つの丘が見えてきます。左のサルバティエラは10世紀からあるイスラム教徒の要塞都市。右は13世紀初頭に建設されたカラトラバ・ラ・ヌエバ(新カラトラバ)の要塞修道院。新カラトラバ建設当時、シエラ・モレナの向こうはイスラム教徒のアル・アンダルス。西日を浴びて浮び上がる2つの城のシルエットは、妙に大きく、威厳に満ちて見える。まさに別世界へ通じる巨大な門といった風情で、下界を見下ろしています。
サルバティエラにはローマ時代にも集落があったそうです。最初の要塞を建てたのはウマイヤ朝下のイスラム教徒で、シエラ・モレナの交通をコントロールするため。12世紀には、イスラム教徒とキリスト教徒の間を行ったり来たりしていましたが、1195年アラルコスでの敗戦によりこの地方の要塞をすべて失ったキリスト教徒は、98年サルバティエラを占領。カラトラバ騎士団は旧カラトラバの代わりにここを本拠地とするも、1211年ムワッヒド軍が50日間の包囲の末再々…占拠。翌年のラス・ナバス・デ・トロサでのキリスト教徒の勝利以降も、そのまま26年までイスラム教徒の手にありました。
さて、カラトラバ騎士団は、ナバス・デ・トロサ後、すぐさま1213年に新カラトラバ築城に着手します。工事には、先の決戦で捕虜となった多くのイスラム教徒たちが使われたとか。お城の上からは、南遠方に連綿と続くシエラ・モレナを見渡し、東側の目と鼻の先にサルバティエラの要塞を見下ろす。つまり、シエラ・モレナ以南のイスラム教徒の地と、以北の最後の砦に頑張るイスラム教徒達の両方ににらみを利かせることができたというわけです。四年後には一応完成し、旧カラトラバから八レグア(約45キロ)のお引越し。
要塞のある丘の麓からは、1560年にフェリペ二世がここを訪れた際に建設された石畳の道を登ります(車可)。この間、左上に見える要塞は、何やら、ばかに大きい。駐車場近くの門をくぐると、そこが要塞修道院の心臓部。城壁に囲まれた広い敷地の西端で、丘のてっぺんです。この中は、おおよそ、南側の宿泊施設、中央の城塞、北側の教会と回廊及び墓地の3つに分かれています。
カラトラバ騎士団は、レコンキスタ後のラ・マンチャ地方で、キリスト教徒による再植民の原動力となりますが、レコンキスタも終わりを告げる15世紀、カトリック両王により王権に吸収されました。要塞修道院はというと…18世紀、騎士団の総本山がアルマグロに移されると同時に放棄され、この時に、騎士修道士たち自身により破壊されてしまったのだそうです。

小林真紀

●建設年代:主に13世紀。以後も増改築が続けられた。
●保存状態:城壁と忠誠(オメナヘ)の塔・教会はほぼ原形を残す。現在修復中
●アクセス:カルサダ・デ・カラトラバへはシウダ・レアルからCM−4111で40km。アルマグロからCM-413→CM-412で19km。ここからC-417で6km。
●見学:9:00−14:00,16:00−18:00(夏季15−21)月曜休館
●インフォメーション:シウダ・レアルのツーリスト・インフォTEL
●周囲のみどころ:サルバティエラの要塞は、残念ながら見学不可。新カラトラバから眺めるしかない。要塞修道院内の教会も、要塞と同時に建てられたもの。全体的にはシトー会らしく簡素なゴシック建築だが、主祭壇の横には馬蹄形アーチや多葉形アーチ、タイル装飾やモカラベの跡など、いかにもムデハルらしい装飾が見られる。正面ファサードの、赤い火山岩で縁取られたバラ窓(↑写真)は圧巻。これはカトリック両王の時代の改装部分で、当時は聖母マリアの生涯を描くステンド・グラスがあった。
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