スペインは歴史の街。紀元前3.000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。

第11城 オリテ(ナバラ)前編

オリテの城塞宮殿は、ナバラ王カルロス三世(在位1387〜1425)による築城です。まずは、簡単にナバラ王国の歴史から。
ナバラ王国の成立は10世紀。レオン王国の内紛に乗じて国家の基礎を固め、11世紀初め、サンチョ三世(大王)がカスティーリャ伯領も吸収してキリスト教スペインの一等国に。しかし、同王は、領土を3人の息子に分割相続させたものだから、ここから後のカスティーリャ王国、アラゴン王国が成立。レコンキスタにより次第に領土を広げていく両王国に拡大の道を阻まれて、ナバラ王国は次第にイベリア半島内で脇役に追いやられていきます。
13世紀中頃、サンチョ七世が跡取りを残さずに亡くなると、フランスのシャンパーニュ家が王位を継承し、以後約2世紀の間、ナバラはフランス人統治下に。カペー家、エヴレ家と王位は移り、14世紀末、貴族王と呼ばれるカルロス3世(フランス人だからシャルルと呼ぶべきか…)登場というわけです。奥方のレオノールは、カスティーリャのトラスタマラ朝エンリケ2世の娘。2人は、それまで不在統治が続いたナバラにやってきます。なにしろ、おフランスから来たわけですから、宮廷は次第に豪華に。お付きの貴族も増える一方。領土を広げることのできなかった貴族たちは、望みのない所領での生活を棄てて、こぞって宮廷に職を求めたのだそうです。当時は相変わらず移動宮廷でしたが、その器は贅(ぜい)を極めたものになっていました。それが、オリテや近くのタファリャのお城でした。
オリテはローマ時代からある古い町。13世紀から存在する旧宮殿(パラシオ・ビエホ=現パラドール)には、ローマ時代の城壁跡も残っています。15世紀初頭、まずは、レオノールが旧宮殿の改築を命じ、次にカルロス3世が、その隣りに新宮殿(パラシオ・ヌエボ)、つまりオリテの城館宮殿を建設。オメナヘの塔辺りが最初に建設された部分です。設計を受け持った建築家たちはセゴビアのアルカサルを訪れ、装飾の手本にしたとか。王自身が左官たちにデザインを指示したとも言われています。1415年前後まで増改築が繰り返された城館は、なんだか雑然とした間取りになっていますが、全景を眺めると華奢(きゃしゃ)な塔が建ち並んでいて、どこか洗練された空気が漂う。しかし、この美しいお城も、全盛期はそう長くはありませんでした。 〈続く〉

小林真紀

●建設年代:15世紀
●アクセス:パンプローナからA-15またはN-121を南へ30kmちょっと。
●保存状態:修復済
●見学:10〜3月10:00-14:00, 15:30-17:30(日-18:30)/4〜9月10:00-14:00,16:00-19:00(7〜8月-20:00)/聖週間・連休10:00-19:00
●インフォメーション:TEL(948)740035/260241
●周囲の見所:これからの季節、紅葉が美しいピレネー山中への遠足がお薦め。この項で触れたサンチョ7世(身長2mの大男!)が眠るロンセスバリェスは、ピレネーの谷間にたたずむ小さな村。サンチョは、1212年ナバス・デ・トロサの戦いで活躍し、イスラム教徒軍大将のターバンを飾っていた大きなエメラルドを奪ったとか。このエメラルドは、現在でもナバラの紋章を彩っています。紋章のエメラルドのまわりの鎖は、この戦いの時に、敵の大将が盾にした歩兵達を縛っていた鎖。ロンセスバリェスは『ローランの歌』の舞台でもあります。傘必携のこと。ロンセスバリェスINFO:(948)760193
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