スペインは歴史の街。紀元前3,000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。
●建設年代:12世紀
●保存状態:外郭はほぼ完璧に残る。内部も大部分修復済。
●アクセス:トレドからCM-400で32キロ。
●見学:月〜金9:00-14:00 /16:30-19:00。土日祝10:30-14:00/16:30-19:00。 (10/31〜3/31は午後15:30-18:30)
●インフォメーション:Tel. 925-475731 (Oficina de Turismo de Consuegra)
●周囲の見所:お城のある丘の上には尾根にそって風車が並ぶ。そのうちの一つは内部の見学も可能。CM400沿線にはお城多し(前号参照)。毎年8月中旬、村中で1097年の戦いの模様や当時の生活の様子が再現される。
第10城 コンスエグラ(トレド)


11世紀末のイベリア半島南部では、ムラービト朝が、グラナダ、マラガ、セビーリャ…アル・アンダルスに散らばる群小(タイファ)王国を次々に倒し、イベリア半島での勢力を広げていました。1096年、ムラービト朝のアミール、ユスフ・イブン・タシュフィーンが、マラケシュから四度目のアル・アンダルス遠征を行い、コルドバに到着します。この知らせを受けたカスティーリャのアルフォンソ六世は、サラゴサ遠征計画を変更して、アラゴン王国やバレンシアのエル・シッドに援軍を要請し、南下。1085年にイスラム教徒から「取り返したばかりの」トレドを死守しなければ! というわけです。王の要請を受けて、エル・シッドは息子ディエゴを援軍として差し向けました。一方のユスフはコルドバから兵を送り、1097年8月15日土曜日、両者はコンスエグラで衝突!
すぐに戦闘の形勢がイスラム教徒軍に傾き、城に立てこもったキリスト教徒軍。イスラム教徒軍は城を包囲し、その麓で死闘が繰り広げられること8日間。その結末は…イスラム教徒軍が勝利を収めたのではないかと推測されてはいますが、はっきりとは分かっていません。ところで、キリスト教徒側の資料は、この戦いでディエゴが戦死したことを伝えています。一人息子を失ったエル・シッド。当時としてもかなり衝撃的なニュースだったのでしょうか。
ラ・マンチャ地方では、この後もムラービト朝の脅威は消えることなく、翌々年、再度北征したムラービト軍は、コンスエグラをはじめこの辺りの城をいくつも奪い、トレドに接近します。これらの城は後にキリスト教徒が奪い返したり、また奪われたり…。ムワッヒド朝が1212年ナバス・デ・トロサで決定的な敗北を喫するまで、常にイスラム教徒の脅威にさらされていたこの地方では騎士団が大活躍。騎士団にまつわるお城ばかりです。コンスエグラの要塞も、アルフォンソ7世により聖ヨハネ騎士団に与えられ、アル・アンダルスの時代からあったお城は彼らの手で大幅に増改築されました。

*ムラービト朝(1056-1147):西サハラに興ったベルベル王朝。首都マラケシュ(1070-)。アフリカ大陸でニジェール川からセネガル、及び地中海沿岸までを手中にし、1086年はじめてイベリア半島に上陸。ムワッヒド朝(Almohades)に滅ぼされる。
トップにもどる
フラメンコ イベントガイド ショッピング 旅行 グルメ  音楽 ビデオ 留学 住まい 求人
 ワイン 映画 スポーツ お城 ニュース スペイン屋について お問い合せや質問 リンク
copyright?2004 spain-ya. All rights reserved.