スペインは歴史の街。紀元前3.000年ころアフリカから渡ってきたイベロ族、その後フェニキア人、北からのケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、そしてイスラム勢力の拡大とともにやってきたベルベル人。多様な民族の混合は、長い歴史の中でこの国独特の文化・風俗・習慣を生みだし、人間模様を織りなしている。
このようなスペインの多元的であり多様な歴史は、今でも街のあらゆるところに壮大なドラマを秘めて残されている。スペイン各地に残されている『古城』を訪ねると、この国のもつ入り組んだ複合性を垣間みることが出来るでしょう。

●建設年代:11〜14世紀
●アクセス:テルエルからT-900を40km
●保存状態:城壁は完璧に残る。城跡は廃虚
●見学:城壁は自由。城跡は発掘中につき不可
●ツーリスト・オフィス:C/Diputacion 4 , Tel:978-710 251/253
●みどころ:テルエルからT-900をアルバラシンに向かい24km  付近、右側の丘の上を見ると、廃屋が見えます。これはサンタ・クローチェ(Santa Croche)という名の城跡。道路から見上げるだけで丸い塔の跡が見える。この辺りには先史時代の洞窟壁画も沢山残っているそうです。


第8城 アルバラシン(テルエル)―後編―

『わがシッドの歌』第3歌。夫カリオン公子とともにバレンシアを出発したエル・シッドの娘たちが、ここに立寄ります。11世紀後半、エル・シッドがバレンシアで活躍していたころのイベリア半島は、イスラム教徒の郡小王国とキリスト教諸王国が互いに存続と領土拡大を企み、そこに北アフリカからイスラム王国ムラービト朝が上陸して来たものだから、もうぐちゃぐちゃ。小国アルバラシンのラズィーン家は、ムラービト朝やアラゴン王国のバレンシア攻撃に加勢したり、逆にエル・シッドに攻撃されたり…王国の存亡を賭けてあっちに付いたりこっちに付いたり。しかも、エル・シッドに年貢として1万ディナールを支払ってもいたらしい。(エル・シッドが近隣イスラム王国から受け取っていた年貢金は合計14万9000ディナールに及ぶとも言われる。1ディナール金貨に含まれていた金が約4グラムとして、約600キロの黄金!<BR> 1094年以来バレンシアを死守していたエル・シッドも1099年に病死。求心力を失ったイベリア半島の諸勢力はムラービト朝に対抗できず、バレンシアに続いて、1104年にはラズィーン家も彼らの手で滅ぼされてしまいました。
アルバラシンがキリスト教徒の手に渡ったのは1170年のこと。ナバラ王国とアラゴン王国から許可を得て、イスラム教徒征伐に来ていたナバラの貴族ペドロ・ルイス・デ・アサグラがここを領地とし、以後1世紀、1284年にアラゴン王国に制圧されるまで、アサグラ家のアルバラシンはカスティーリャからもアラゴンからも独立を維持し、カテドラルも建設します。西をカスティーリャに押えられ、アルバラシンに南下を妨げられたアラゴンは業を煮やしていたことでしょう。度々この地を攻撃。村を囲む市壁はこのころ建設されたものです。
赤味がかった石膏で塗られた家々は、まるで保護色をまとって山間に身を隠そうとでもしているみたい。観光地とはいえ、土産物屋が軒を連ねるわけでもなく、観光バスが去ってひっそりとした村には中世の空気が閉じ込められているかのようです。

小林 真紀

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